このデモは『信長公記』巻九「安土山御天主之次第」と、滋賀県の発掘調査(平成の20年調査、令和5年度からの「令和の大調査」)を骨格にしています。記録や遺構で確かめられないところは「推定」、研究者の見解が割れるところは「諸説」、見せるための工夫は「演出」と、字幕の札で区別しています。
史料 同時代の記録
発掘 発掘調査で確認
推定 根拠をもとに置いた仮定
諸説 見解が分かれる
演出 見せるための工夫
天主の形(採った案)
| 項目 | このデモ | 根拠 | 札 |
| 重と階 | 外観5重、内部は地上6階+地下(穴蔵) | 『信長公記』「石くらの内を一重土蔵に御用、是より七重也」 | 史料 |
| 高さ | 天主台の上から約32.5m(16間半) | 『信長公記』「高さ十六間ま中」、1間=6尺5寸で換算 | 推定 |
| 1階の平面 | 天主台いっぱいの不等辺八角形(南北約38m×東西約34m) | 「北南へ廿間、西東へ十七間」が現存の天主台とほぼ一致(加藤理文氏の検討) | 推定 |
| 5階・6階 | 朱の八角堂(八角四間)、金の最上階(三間四方) | 『信長公記』の六重め・上七重め | 史料 |
| 外観の色 | 白壁に黒漆の窓、朱の階、金の最上階、青黒い瓦、金箔の軒瓦 | フロイス『日本史』、発掘された金箔瓦 | 史料 発掘 |
| 「青い階」 | 色を割り当てない | フロイスの記述にあるが、どの階か決め手がない | 諸説 |
| 吹き抜けと宝塔 | 採らない。穴蔵の中央の穴は「宝塔説あり」と解説のみ | 内藤昌案(『天守指図』による)。指図に後世作の疑い、『信長公記』に記述なし(宮上茂隆氏ら) | 諸説 |
| 障壁画 | 各階の画題は『信長公記』のとおり。絵そのものはイメージ | 狩野永徳の実作は焼失して現存しない | 演出 |
最近の発掘で分かったこと(令和の大調査)
- 令和5年度:天主台東面の石垣は上部が崩れ、残る石の高さがそろう。人為的に壊す「破城」の可能性(八幡山城築城に伴う廃城時か)
- 令和6年度:本丸取付台に大型礎石の建物。主郭の北虎口に7段の石段
- 令和7年度:礎石21個を新たに確認。本丸取付台に少なくとも横約30m×縦約10mの大型建物。石列は「天主石段」側に面をそろえる → 本丸と天主を結ぶ通路とみる見方
- 天主台周辺の調査は2026年12月まで続く予定。このデモは2026年10月時点の公表内容による
地形と1581年の湖
- 地形は国土地理院の標高(安土山は5mメッシュ)。現代の地形で、高さの強調はしていない
- 湖面は T.P.85.2m と仮定(瀬田川洗堰ができる前の平水位 B.S.L.+0.8m)。これより低く湖とつながる土地(大中の湖・小中の湖の干拓地)を水面に戻した。安土山は北・西・東の三方を内湖に囲まれる
- 江戸時代以降の新田開発や堆積で湖岸は変わっているため、水際は目安
演出として作ったもの
- 案内人と客人は架空。台詞は史料と発掘の内容を語らせたもの
- 大手門から天主まで約600m・高低差約110mを、場面をつないで約7分に縮めている
- 日の傾きと満月の出は、1581年8月23日の安土での天文計算に合わせた(日の入り約18時30分、西北西)
- 大手門・黒金門・御殿・屋敷の建物の形は推定。礎石の位置が分からない建物は大きさも目安
操作
Space 再生/停止1〜4 視点P 小窓← → 5秒戻る/進む自由視点:ドラッグで回転、右ドラッグで移動、ホイールで拡大
出典
- 太田牛一『信長公記』巻九・巻十四・巻十五(Wikisource 我自刊我書本)
- 滋賀県「令和5年度/令和6年度 天主台周辺地区発掘調査概要」「令和7年度 同 中間報告」(滋賀県ホームページ)
- 滋賀県「特別史跡安土城跡の調査と整備」
- 加藤理文「天主の平面規模」(城びと)
- ルイス・フロイス『日本史』、『十六・七世紀イエズス会日本報告集』(NDLレファレンス協同データベースの引用による)
- 中川晃成「琵琶湖水位の変動特性と瀬田川洗堰全閉問題」水利科学68(3), 2024
- 国土地理院 標高タイル(DEM5A・DEM10B)、OpenStreetMap(石垣・石段・道の位置)